自由な発想の庭造り ガーデナー和久井さんインタビュー
つぐもりのカフェ・宿泊棟の周囲にはガーデンがあります。遊び心に溢れたつぐもりガーデンを造ってくださったのは和久井道夫さん。
長野県須坂市出身の和久井さんは20代で渡米し、オレゴン州ポートランドで日本庭園協会のヘッドガーデナーとして庭園作りに携わりました。
帰国後は和洋にこだわらず住む人のライフスタイルに即した居心地の良い空間を提案しながら数多くの庭を手がけられています。
今回は和久井さんにインタビュー。渡米されてから小諸に定住することになった経緯と、つぐもりガーデンについてお伺いしました。
- 渡米されてから、小諸で造園を手がけることになるまでの経緯を教えてください。
それは話せば長くなりますね(笑)
アメリカでは永住権を持って仕事をしていましたが、腎臓を悪くしてしまいました。その当時の状況では今後ずっと透析が必要だと、担当医から伝えられたんです。病気になるとアメリカの食事が身体に辛い。心も弱くなっていて日本に帰りたいという気持ちが強くなっていました。その時ちょうどオレゴンの病院に日本人の先生が研修で来ていて、東京の病院を紹介してもらえることになったので、帰国することになりました。それが26歳のときです。
東京の病院で治療を受け、透析を免れるまでに回復はしたけれども、ハードな造園の仕事ができるような状況ではありませんでした。アメリカの永住権の維持も難しく、兄弟の紹介を受けて静岡にある障害者施設の職員として5年ほど働きました。
- 帰国から治療を経て、しばらく静岡に住まれた後に長野に戻られたんですね。
アメリカのヒッピー文化の影響もあって、どこか田舎の綺麗なところに自分で家を立てることが僕の夢だったんです。なので長野に帰ってきて小諸に土地を探し、家をセルフビルドしました。
少しずつ造園の仕事も始めていました。当時はガーデニングブーム。でもいわゆる植木屋さんとガーデニングとは異なるもの。花を扱う人が少なかったんです。
一方東京では、本場イギリスでガーデニングの勉強をした方が増えてきていました。そのような方々と知り合い、デパートの屋上庭園やイングリッシュガーデンの造園に関わるような機会もありました。
日本庭園にこだわらない洋風の庭を作る機会も多く、そんな造園の仕事を各地で受けながら、田舎暮らしを楽しみ、冬場は大好きな旅をするという生活を送っていました。
- より深く小諸に関わるきっかけは何だったのでしょうか。
きっかけとしては2つのことがありました。今から16-17年前のことです。
一つ目は、小諸駅前にある「停車場ガーデン」を手がけたこと。小諸のまちづくりをしている方に声をかけられ携わることになりました。
二つ目は本の出版です。停車場ガーデンのお話と、ほぼ時を同じくして、信濃毎日新聞の編集者から「信州から発信するガーデニング」の本を書いてみませんかいう話がありました。越さんという方と共著なら、いうことで本を出版することになりました。
停車場ガーデンを手がけたり本を出してからは、仕事も多く入るようになりました。来るものは拒まず、旅をするために仕事をするような感じで仕事をしていたいましたね。
- つぐもりに関わることになった経緯を教えてください。
オーナーの順子さんが和久井ガーデンに訪ねてきてくれたのがきっかけです。直接お話ししたことのある方は分かると思いますが、順子さんの人を巻き込む力は強力なので、巻き込まれてしまいました。
- つぐもりが荒れ地から今のような形になるまでには、どのように庭造りを進められましたか。
整備を始めたのは2年前。その時は具体的な予定やテーマもないし、つぐもりは足の踏み場もないジャングルみたいな場所でした。なので、とにかく下草の整理をし、木を伐採し、道を作りました。
そのうちにカフェや宿泊施設の計画が出てきました。乗りかかった船だしやるしかないな、そんな気持ちでガーデンの話を受けました。ただ、どんな建物ができるかわからない。直感的にノープランのまま行った方がいいなと思いました。今はそれが正解だったと思っています。
というのも、つぐもりでは思いがけないことがたくさん起きたのです。
基礎や浄化槽を入れるために掘ったらたくさんの石が出てきました。その石を見て、土留めやロックガーデン、石のアプローチに使いました。他にも伐採した赤松の薪をスイス積みにしたり、ベンチとして置いてみたり。
初めから予定を立ててしまっていると、想定外の材料は使えないけれど、予定していないとアドリブでその場で考えてやっていくしかない。仕事によっては正確に絵を描いて進めていくこともあるけれど、つぐもりに関しては絵に描いてもその通りにはならない。「ノープラン」と「アドリブ」がむしろ良かったですね。そして、自分の中にはそれだけのアドリブでできる力があるということだと思います。
- 色々な場所で即興的なものができているけれども、それが全体として調和しているのは和久井さんの経験の集大成ではないでしょうか。
そうですね。それが仕事の形としては理想型なのかもしれないですね。プラン通り、見積もり通りにやるというところから離れて、自由な発想で材料を見てアドリブでやっていくということ。それがこの場所に相応しい造園の仕方、景色の作り方だったなと今は思います。それでいいのかなと思うし、それしか方法がなかったというのが正直な気持ちではありますが。
その点では、今回一緒に造園作業をしてくださった山本さんに本当に助けられました。この2ヶ月間、彼がいなかったらできなかった。本当に僕だけの力だけではない、この杜に来てくれた多くの人の力の集大成だと思っています。
- 和久井さんが声をかけると様々な分野のプロが力を貸してくださいます。そんなネットワークはどのように築かれたのでしょうか。
意図したわけではないけど、いざという時に声をかけると助けてくれる、そんな人脈ができていますね。こればかりは皆さんに助けられているとしか言いようがないですね。僕だけでなく、それだけ多くの人の力でひとつの仕事が出来上がっていくということだと思います。
- 7月7日のオープンに向けて一言お願いします。
多くの人が来てくれる場所になってくれればいいなと思っています。
庭はもちろんカフェの内容は重要。また来たいと思ってもらえることが一番なので、切磋琢磨して成功させて欲しいですね。
和久井さん、ありがとうございました。
つぐもりにお越しの際には是非ガーデンも自由に歩いてみてください。
※和久井さんと山本さん